
木下忠司は木下惠介監督の弟。
誰もが知る、テレビ「水戸黄門」主題歌の作者。
浜松一中(現浜松北高)から武蔵野音楽学校に入学し、卒業と同年末に出兵。復員後、木下監督の6番目の作品、「わが恋せし乙女」(1946年)で作曲家デビューする。以来、木下監督の映画作品の音楽を担当。「破れ太鼓」(1949年)では作曲家志望の次男役で阪東妻三郎との共演も果たす。
「女の園」「この広い空のどこかに」(1954年)で毎日映画コンクール音楽賞を受賞。その後も映画音楽、テレビの主題歌など多くの作品を手がける。
芳子は木下監督の妹。
浜松市立高女から東京の実践女子専門学校に進み、木下監督の蒲田の家に同居するなど監督から可愛がられ映画と脚本にたいする本質的な興味やセンスを植えつけられる。1954年「この広い空のどこかに」の脚本を執筆。1956年には「涙」「夕やけ雲」の脚本を執筆する。
その後の作品は、 「母子草」(1959年)「風の視線」(1963年)「あねいもうと」(1965年)「塩狩峠」(1973年)がある。1944年に木下監督のカメラマンを務めていた楠田浩之と結婚している。
忠司、芳子が受けた惠介の影響は大きいが、3兄妹それぞれの成功は母たまの英才教育により芸術家としての素養がつくられている。 木下監督26番目の作品「夕やけ雲」は、監督、脚本、音楽で3兄妹がそろって製作にかかわっている。

