恵介の大叔父 鈴木栄作

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「私が映画好きになったのも、この伯父と同じ血が流れているせいだろうか。
実際、私が映画界に入るときには、この伯父が真っ先に両親を説得してくれたらしい。」

日本経済新聞「私の履歴書」木下惠介より

鈴木栄作

高校卒業後、京都の松竹下賀茂撮影所をめざして家出をした木下少年を迎えに行ったのが伯父・栄作でした。
惠介の部屋で阪東寿之助(尾張屋の顧客だった)あてに書きかけた手紙を発見したことから、行き先を割り出したそうです。

若いころは東京で小山内薫や二代目市川左団次との交流もあった伯父さんは、鶯亭金升の弟子で「鶯亭吉升」と名乗り、同人を集めて都々逸(情歌)や川柳をつくる、文芸・遊芸の通人でした。
「浜松音頭」の作詞、「元浜おどり」を当時の花柳街・元浜町ではじめたのもこの伯父さんです。
芝居や万歳の興行をする、今で言うプロモーターのような仕事もしていました。


鈴木栄作

  • 鈴木栄作
    八百栄店先。右端に栄作
  • 鈴木栄作
    左に栄作
  • 鈴木栄作

自動車会社、帝国製帽への勤めのあと、家業の八百屋「八百栄」を継ぎ、果物の扱いが増えた流れで当時では珍しかったカフェを開業しました。カフェ「パウリスタ」店内では『王球』という大きなラジオから流れる相撲や野球の中継に人が集まり、調理場でつくったアイスクリームもメニューにあったそうです。

  • 鈴木栄作
    カフェ営業時の栄作・45歳。
  • 鈴木栄作
    カフェ「パウリスタ」店内
  • 鈴木栄作
    奥のテーブル左端に栄作
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