すごい作家が浜松に存在(い)た。
藤枝静男作品には時代を超えた重要なメッセージがある。
私たちは、この時代だからこそ、藤枝作品に注目しなければならない。
極限まで「私」はなにものにも姿が変えられる変幻自在の「神」のようなものである。

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| 幼年期と家族 | ||||||||||||||||||||||||||
| 章は明治四十一年第五番目の次男として生まれて幸せに生きのびることができたのであったが、彼が小学校に入学するまでに二人の姉と一人の弟と一人の妹を失ったのであった。章は、父が店の薄暗い帳場格子の中に正座して、一度鉛筆で書きつぶされた古い手帳の頁のうえに、細い面相筆をつかって再び一心に何かを墨書きしていた光景を回想することができる。それは父にとって非常に暗い時代であったような気がする。章は父の背に小さい身体を圧しつけ、肩ごしに父の手元をのぞきこんでいた。 (「硝酸銀」より) |
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| 少年時代 | ||||||||||||||||||||||||||
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私が藤枝町尋常小学校に入学した大正三年は、第一次世界戦争の勃発した年で、日本は労せずして青島を攻略し、軍需景気にわきたっていた。そして翌年には大正天皇の即位式が行われ、私たちは紋付羽織に小倉袴をはき、日の丸の国旗とまん幕に飾りたてられた東海道を学校に祝賀式に集まって「大正四年秋半ば、昇る朝日の空高く、四海を照らす大君の、めでたき今日の即位式」という歌を合唱したのであった。(中略) |
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| 父の薬局 | ||||||||||||||||||||||||||
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父はもとに理髪場の土間に十畳の床を張って沢山の小抽出しのついた箪笥を鈎がたに据え、その上に硝子戸棚いっぱいに局方の散薬や水薬の壜を並べ、奥に通ずる土間をへだててた壁ぎわにたなをつくって脱脂綿や絆創膏や浅田飴や五臓円や大学眼薬やヘブリン丸などの売薬を天井ちかくまでぎっしりと積み上げ、框に近く箱火鉢を置き、奥の天秤の乗った調剤台のわきの帳場格子の向こうに小机を据えて終日客を待った。 仕入れ薬を商うかたわら、彼は独自の調合による下熱剤や胃腸薬を考え出し、売薬の免許をとって「解熱散」とか「快通丸」とかいうふうに名づけて自製し、安価な家庭の常備薬として売りだした。また夏になると、簇生する氷屋や飲食店をまわって注文をとり井戸水の水質検査を精密に行って、それでえた金は不時の用に役だてる目的で別に貯蓄した。 (「硝酸銀」より) |
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| 家庭・仕事 | ||||||||||||||||||||||||||
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浜松文芸館の庭には、「田紳有楽」に登場する蹲踞(つくばい)や、藤枝静男が志賀直哉邸の庭のシクザクロの実から育てたシクザクロの樹が保存されています。
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