すごい作家が浜松に存在(い)た。

すごい作家が浜松に存在(い)た。|藤枝静男

藤枝静男作品には時代を超えた重要なメッセージがある。
私たちは、この時代だからこそ、藤枝作品に注目しなければならない。
極限まで「私」はなにものにも姿が変えられる変幻自在の「神」のようなものである。

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□壜の中の水

1965年(昭和40年)
展望4月号に発表

壜の中の水

私小説について
 小説の形式などどうでもいいではないか。あるアメリカ人が「志賀直哉の小説は、小説ではなくて随筆だ」と言ったそうであるが、自分の国の規格を相手かまわず押しつけるのは、お国がらとは言え、ずいぶん傲慢な話で、私は「それが創作であるか随筆であるかの別は、それを書くときの精神の緊張とそれを書く態度できまる」という意味の志賀氏の言葉の方がはるかに芸術家らしくて調子が高いと思っている。またその方がヨーロッパよりはるかに古い東洋芸術の伝統に即していると思う。社会のしくみが変われば芸術という精神の伝統も消滅しないといけないなどという法はない。
このごろ源氏物語が「近代的」な人々の気に入っているらしいが、それは彼等の尊重する小説の規格に合うからであろう。それなら私がすぐそのとなりにいる「枕草子」を短章の自由構成形式による私小説の傑作だと言ったら何と言うだろう。私は何もヤケクソで言っているのではない。
(「私小説家の不平」より)

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