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【ピアニスト】河村尚子


©Marco Borggreve

一流の演奏家を国内外から招き、圧倒的な演奏をお届けしている「アクト・プレミアム・シリーズ ~世界の名演奏家たち~」。8月31日に登場するのは、世界の注目を浴びる国際派ピアニストの河村尚子さんです。オール・シューベルト・プログラムにかける想いや浜松公演に向けてのメッセージをお伺いしました。

今回の公演の聴きどころを教えていただけますか?

シューベルトといえば「歌曲の王」。数え切れないほどの歌曲を手がけた作曲家ですね。その為、メロディーが耳に入ってき易く、聞いていて心地の良い音楽かと個人的には思います。今回演奏するメインとなる作品は、ピアノ・ソナタ第20番と21番。これらは、20代半ばの頃から病に苦しむシューベルトが亡くなる数ヶ月前に作曲されました。モーツァルトが若くしてこの世を去った事は、皆様もよくご存知のことだと思いますが、シューベルトがそれよりもっと若くして他界してしまった事(31歳!!)は、あまり広く認知されていないのではないでしょうか。「まだ生きたい」という愛と生命力に溢れた音楽と、「痛みから解放されたい」という苦しみ、絶望感、そして現実逃避の狭間にある音楽だと思います。時には淳化されたかのように「無」の状態に浮かぶような感覚、時にはどん底に突き落とされたかのような孤独で絶望的に哀しい感覚を体験させてくれます。また、シューベルトの音楽のイメージといえば、楽曲内で同じメロディーが何度も何度も繰り返される、ということが特徴ですが、私は同じことが繰り返されているわけではない、と考えています。置き換えて言うと、日常的に朝、家で目が覚めて、仕事に出掛けて、また家に帰る、という行為に似ているのではないかと思います。つまり繰り返されるテーマは「自宅」であって、その周りで起こる音楽は、出掛け先で体験する新たな出来事。そして、再度テーマに帰宅する。そのため、再現するテーマは、また新たな何かを取得して成長したテーマとなります。シューベルトのやや長めの音楽は、このように考え、感じながら聴いてみると面白いかもしれませんね。

演奏に最も影響を与えたのはどなたですか?

間違いなく、12歳の頃に出会ったポーランド人のピアノ教師、マウゴルジャータ・バートル=シュライバー氏です。彼女はポーランドの東部にあるジェショフという街のご出身で、ワルシャワの音楽院にてB.ヘッセ=ブコフスカに師事した方ですが、80年代にドイツへ移住し、ハノーファーから100km南にある中部ドイツの大学街・ゲッティンゲンでショパン国際コンクールを設立しました。このコンクールは大変ユニークで、子供、ジュニア、シニアの3つの部門から成り立ち、1990年から1995年の間に3回開催されました。東欧、ヨーロッパ、アジアからの参加者がそれぞれ多く、90年代に話題を呼んだコンクールでした。因みに1990年には高橋 多佳子さんがシニア部門で受賞、1995年には三浦友理枝さんがジュニア部門で優勝されました。それまでドイツ西部にあるデュッセルドルフという街で日本人のピアニストに学んでいた私は、12歳になって東欧の音楽教育と接触することになりましたが、音の出し方、身体の使い方、音を注意深く聴くこと、フレーズの作り方など非常に細やかな指示を受け、先生の熱心なレッスンを朝から晩まで受けました。当時、家族とデュッセルドルフに住んでいた私は、2週間毎、金曜日の放課後に駅へ直行し、3時間半電車に揺られて先生のお宅へ週末合宿に通いました。情熱を注いだ先生のレッスンには凄まじいものがありました(笑)が、なんとかそれについて行こう、と必死でした。しかし、好きなピアノの演奏法をどんどん変えてくださったので、嫌にはなりませんでした。むしろ、ピアニストの基盤を作ってくださいました。 褒められたり叱られたり、泣いたり笑ったり、それまで体験したことのない教育法ではありましたが、あの時のバートル=シュライバー先生がいなければ、今の私はありません。

これまでの演奏活動で、特に印象に残っていることはありますか?

数多くの素晴らしい音楽家たちとの出会い、異なる音響の立派なホール、様々なメーカーの優れたピアノ、親切な主催者と関係者の方々、印象に残っていることは沢山あり過ぎますが、なんと言っても音楽家は食べることと飲むことが大好きなのです。私は残念ながら遺伝的にお酒を飲めないのですが、演奏会が開催される街の食べ物を事前にリサーチすることは稀ではありません。また、その街の文化や歴史を知ること、自然と触れ合うことも大好きです。
浜松市では必ずウナギを食べますし、砂丘に行って太平洋の海風にあたることが大好きです。

浜松国際ピアノアカデミーレッスンの様子(2017年3月)

浜松国際ピアノアカデミーの受講生達と一緒に中田島砂丘へ(2017年3月)

コロナ禍での生活、どのように過ごされていましたか?

ドイツでのロックダウンはかなり長い期間ありました。2020年3月から6 月、12月から2021年3月のほぼ半年。その間、夫の勤めるオーケストラは活動がほぼ停止状態にあり、娘の通っていた幼稚園は閉園、私が勤めている大学もリモート授業のみでした。夫と交代で娘と時間を過ごし、ピアノの練習、学生たちのリモート・レッスン、庭と植物の手入れ、食事の準備...。庭仕事にかなり時間を割いた時期でした。幸い庭があるので、閉塞感があるロックダウン時期に開放感がある庭で気持ちの良い時間を過ごしていました。トマト、胡瓜、じゃがいも、人参、苺、獅子唐を家庭栽培しました。
ピアノのリモート・レッスンは色々と実験して、同僚たちと情報交換をしながら実施していましたが、やはり技術的、音響的になかなか難しいものがありました。通常の対面レッスンよりも時間がかかり、結局、いつもの2−3倍は働いていた気がします。その他、学生たちとリモートで様々な作曲家や作品を紹介するセミナーを開きました。女性作曲家に スポットライトを当てたり、オーケストラの楽曲を研究してみたり。それはそれで、なかなか面白いことができたのではないかと思います。
食事では小麦粉を控えたグルテンフリーでどこまで料理ができるのか、 卵や乳製品を使用しないでどのような料理ができるかを研究してみました。
決して心地よい期間ではありませんでしたが、全体的に日常の在り方、今後の生き方を見直す良い機会だったと実感しています。

浜松には何度もお越しいただいていますが、浜松の印象を教えてください。

フルーツや野菜がとてもよく育つ暖かい気候の土地からか、浜松で知り会った方々は皆さん大変温厚で、そして情熱がある人々でした。お祭りで皆さん爆発するとか?! 駅周辺には素晴らしい音楽ホールや施設、楽器博物館があり、世界に誇る2大ピアノメーカーであるカワイとヤマハの発祥の地として音楽的に豊かな街だと思います。ピアノ工場の他に浜松城、祭り会館、砂丘、うなぎパイ工場など、色々と訪問しました。どれもとても良い思い出となっています!

今後、挑戦してみたいことはありますか?

私は日本生まれではありますが、幼少の頃に父親の仕事の関係から、家族全員でデュッセルドルフに引っ越しました。そこには日本人学校があり、小学校6年生まで通い、日本の教育を受けたのですが、長年ドイツに在住していてドイツ語が話せないのもよくないので、自らの意思で現地校に編入する覚悟をしました。勿論語学でかなり苦労しましたが、今となってはそれが宝物となっています。ドイツ語は勿論、英語、そして少し学んだフランス語。近年フランス語圏での仕事が増えたので、フランス語も話せないといけない、という危機感を覚えました。半年ほど前からフランス語を新たに学んでいます。ドイツ語と全く違う言語なので、メロディーや言葉のリズム、この言語の気まぐれな性格に興味を感じています。

最後に、お客様へのメッセージをお願いします。

©Marco Borggreve

浜松でのリサイタルは11年ぶりです。実は、11年前の公演は忘れ難い出来事があり、個人的に大変印象に残っています。ハノーファー音楽大学の恩師であったV.クライネフ氏が公演日に突然亡くなられたのです。
あれから11年もの年月が経ち、私自身ピアノを教える身となり、母親となり、様々な成長を遂げました。11年前に聴いていただいた方々にはその変容を感じていただければ嬉しいです。また、初めての方は、シンプルに共に晩年のシューベルトの世界にどっぷりと浸っていただき、夏の暑さを音楽会の間、一瞬忘れていただきたいです。

アクト・プレミアム・シリーズ2022
~世界の名演奏家たち~ vol.27
河村尚子(ピアノ)

2022年8月31日(水) 19:00開演 
アクトシティ浜松 中ホール
全席指定 S席5,000円 A席4,000円 B席3,000円 学生B席1,500円 
 ※未就学児の入場はご遠慮ください。

公演の詳細は、こちらをご覧ください。