グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



トップページ >  インタビューノート  >  【作曲家・舞台音楽家】宮川 彬良

【作曲家・舞台音楽家】宮川 彬良


2018年2月18日(日)開催『2018宮川彬良まつり』 出演
【作曲家・舞台音楽家】宮川彬良 インタビュー

2015年、歌劇「ブラック・ジャック」を制作・指揮、アクトシティポップスオーケストラの指揮など浜松とのご縁も深い宮川彬良さんが、ご自身の名前を冠した「宮川彬良まつり」と題した音楽会「宮川彬良まつり」を催します。
果たしてどんな「まつり」なのか…?少年時代の思い出から舞台音楽家としての現在について伺いました。

舞台音楽家になったきっかけ

 幼少の頃は、父(作曲家・故 宮川泰氏)が忙しくテレビに出ていて、指揮してピアノを弾いて楽しそうだなと思っていました。僕の通った中学校は年に1回演劇祭のあるユニークなところで、先生が選んだ台本で、生徒が役者、音響、照明、衣装係なんかのすべてをやるんです。当然音響係になった僕は、台本をもらった瞬間に音楽が聞こえてきたことにびっくりしました。当時ロック少年だったので、「このセリフからリックウェイクマンのLPのB面3曲目のこのフレーズだ」とか「最後のシーンで暗転したら、この曲のドラムソロから入って…」とか。セリフに合わせて作曲したりもしました。僕がピアノ、友達がオカリナを吹いて、音楽室のテープレコーダーを家に運んで録音・編集して。本番では体育館でお客の気配を感じながらのオペレーションです。

ロックバンドにもあこがれた

 「俺は舞台の音楽を作る人になる!」本当に思ったのがこの時。だってもうやってるんだから。「ゲルピンズ」ってバンドを始めた中1の時、曲の前に書いたのがまず台本。台本書いてセリフ言ってレコード掛けて、途中に唯一のレパートリーを演奏して、みたいな( 笑)。遊びながら作ってたものが、実はミュージカルでした。一番やりたかったのはロックバンド。映画音楽やCM 音楽への憧れもありましたが舞台音楽は一番地味だけど、目の前にあってもうやってるし、誰も並んでない。じゃあ、ちゃんと勉強してバーンスタインの「ウエストサイド・ストーリー」みたいな曲を書くぞ、という夢が自然に定まっていったんです。

いろんな世界観に触れて今がある

アクトシティポップスオーケストラ 2014.2.9

 20歳くらいの頃は、例えばバレエ台本みたいなものをもらったとするでしょう。イメージの湧くままにピアノの上に指を置いていくと、もう自然と曲になっちゃう。あぁ、こんなもんなんだ…っていう感じです。まぁ若いからかな、と。もちろんけっこう勉強もしましたけど、いつの間にか大人になってて、気が付いたら30年くらい経ってたような(笑)。確かに作曲を生業としているけれど、世界を旅したり滝に打たれたりして曲想を練るとかとかいう発想は全くないんです。哲学も美学も家の中で充分。どこにだって「いのち」の不思議はあるわけですから。全て仕事の中でいろんな世界観を見てきたから、ジャズだとこうだからクラシックならこうやれるんじゃないかとか、アイデアがいっぱいあります。毛嫌いしてきたオペラも、やってみたら「まさに僕みたいに、いろいろ揉まれてきた人が作るべき総合芸術」でした。

メロディアスな音楽を生み出すコツ

 「ひよっこ」の音楽もごく自然体に、のびのび作曲できました。そういう時が一番いい。考え考え細かくやるより、太い筆で一気にバーンと書き上げる方がうまくいく。もちろんそうはできないこともあるけれど、なるべく勢いを大切に、あまり反省ばかりせず自分をその気にさせて生み出すよう心がけています。

※2017年4月〜9月放送 NHK連続テレビ小説の音楽担当。

歌劇「ブラック・ジャック」初演、再演を経て

 僕の作ったオペラは、いわゆる「現代音楽」ではないけど、現代を生きる作曲家なわけだから「現代音楽」だという思いもあります。めちゃくちゃ前衛的な音楽とは違うけど、単なる娯楽かというと、それもちょっと違う。自分の言葉で言うなら、究極のエンターテイメントは芸術、究極の芸術はエンターテイメント。よくできた芸術はものすごく楽しいし、一方で時代を超えて生き残るエンターテイメントだって古典になり得る。両方を垣間見た自分だからこそ、この作品が生まれたことも事実。売れたものや新しいものが偉いというのではなく、新しい価値観の見本を僕は作りたいのです。

歌劇「ブラック・ジャック」より

伝えたいのは「生きている」「いのち」

今までの音楽人生をふりかえった時、外せないのが「舞台音楽」でした。すべての舞台作品が「いのち」を表現しようとしていました。「いのち」は大切だとか尊いとかという常識的なことではなくて、僕の音楽そのものが「いのち」なんだと。人間は一匹の羽虫すら作れない。女性は人間を生めるけど、じゃあ男はどうするのって。手塚治虫もいのちの正体を書きたくて、最終的には火の鳥やブラック・ジャックで、お客の心の中に「いのち」を描いたんですよね。音楽とは、まさに「いのちを作っている」「産んでいる」「生きている」と感じられる行為なんです。

「宮川彬良まつり」でやりたいのは詩集のような「ストーリーのない音楽会」

 僕が作った舞台には、一つの作品に1・2曲必ず大切な歌があります。普遍的で、「これは自分のための歌か」とみんなに思わせるような歌。それを詩集のように次々と並べて、ミュージカルスターたちがまるで手綱を引っ張っていくように歌う。これが、僕のやりたい音楽会の核心。ストーリーがないこんな音楽会、果たしてどうなるか1回やってみようというのが、自問自答してたどり着いた答えです。気持ちよく、楽しく聞いているんだけど、なぜか泣いてしまう・・かも知れない。でも、感じ方はひとそれぞれ。伝わらなくても、届かないその切なさ、その叫びを共有することがすでに美しい。1部はおなかを抱えて笑ってもらおう。2部は訳も分からず泣いてもらおう。そんなイメージでいます。

公開「宮川家の伝達式」

 実は、もうひとつの裏テーマは「宮川家の伝達式」。このプロジェクトのために、僕と(出演する)子供3人とで知恵と力を合わせたいんです。親として「俺はこれが一番大切だと思うんだよ」って、目の前で同じ角度から見てほしい。彼らの脳の中のフォトグラフ、印象の中にいろんな大切なことを収めてほしいんです。今、僕が父のことを音声や映像がなくても語れるのと同じようにね。これをお客さんの前で裸になってやりたいというのがもう一つの狙いです。

「218」のつながりに思うご縁

 2018年2月18日。小さい時からいつかこの日が来ると意識していたから、万感の思いです。昔、雑誌で同じ誕生日の芸能人コーナーを見たら、奥村チヨ、越路吹雪!これはすごいと(笑)。歌手の中で一番好きなあの人(奥村)が同じ誕生日なんて妙なシンパシー、運命を感じました。また偶然、越路さんのディレクターが僕の師匠で、彼女が亡くなった後も続いていた誕生会に同席させてもらったり。ご縁ってあるんです、ストーリーって。他にも、ジョントラボルタとかオノ・ヨーコとか・・・ちょっと怖いくらいの魅力的な人たち。一生に一日くらいこんな私事でみんなに迷惑かけるのもいいかなと思って、そうしたらアクトシティの大ホールがたまたま空いていた(笑)。まさに、ご縁ですよね。

音楽の都「浜松」に期待したいこと

 ひと言でいうのは難しいけど・・大人になっても吹奏楽やったりバンドやったりしてる人が多いよね。そういう意味では全体的なレベルが高いっていう見方もできるし、町ぐるみで意識が高いと感じます。でもそれだけに、道筋やお手本が多すぎて、常識にとらわれすぎてクリエイティブじゃなくなってしまうこともある。もっと音楽が立体になったり、初めて音が生まれたりする瞬間、そういう臨場感のある瞬間をみんなで共有できるといいんじゃないかな。浜松に必要なのはクリエーターだと思うし、地元からそんな人が生まれるようになればいいですね。浜松出身じゃないけど、そのサンプルが僕なのかなと。モノづくりの街、音楽の街だからこそ本気で関わりたいし、そうなふうになってほしいと願っています。

大いなる2時間18分をご一緒に!

 今までとはまったく違う究極の音楽会にしたい。騙されたと思って来てくださいね(笑)。ご期待には完全に沿えないと思いますけど、それこそあなたの期待していたことでしょう。大いなる2時間18分を2018人のお客様と共に過ごしましょう!

10月3日 宮川彬良さんご自宅にて  文・撮影/(公財)浜松市文化振興財団

2018宮川彬良まつり

2018年、2月18日、2018名のお客様を迎え、
2時間18分のコンサート


2018年2月18日(日) 17:00開演 
●アクトシティ浜松 大ホール
●入場料(全席指定)
 S席 5,000円
 A席 3,000円
 学生 1,000円(当日指定・大学生以下)


公演の詳細は、こちらをご覧ください。