【ピアニスト】ジャン・チャクムル
© Muhsin Akgün
ジャン・チャクムルは、しなやかにして興味深い音楽家だ。まず、軽快にして明朗である。それは、知性的にも、感性からみても、またピアノ演奏の技巧に関してもそうだ。
鍵盤を翔けるチャクムルには、重力に圧し潰されることのない、溌剌(はつらつ)とした生気がある。その意味では、たしかに現代の若者らしいが、過去からの声に謙虚に耳を澄まし、よく考えることを好んでいる。
あらゆることが短絡と即断を急ぐ現代において、20代後半を歩むジャン・チャクムルは、思考と感情を、広い画布のなかで強く結びつけていこうと試みている。芸術には人々を変える力がある、ということを、たとえ繊細でも、強かに信じている。多種多様な地域や民族、社会のなかで醸成された音楽を、いま新しく生きていく意味はそこにあるのだ。
ジャン・チャクムルが第12回浜松国際ピアノコンクールのオープニングを飾るべく、来日したのは2024年11月。高関健指揮富士山静岡交響楽団とサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番を演奏した。翌日の午後、神宮前のトルコ大使館で、ゆったりと話を聞いた。
interview・文 青澤隆明
鍵盤を翔けるチャクムルには、重力に圧し潰されることのない、溌剌(はつらつ)とした生気がある。その意味では、たしかに現代の若者らしいが、過去からの声に謙虚に耳を澄まし、よく考えることを好んでいる。
あらゆることが短絡と即断を急ぐ現代において、20代後半を歩むジャン・チャクムルは、思考と感情を、広い画布のなかで強く結びつけていこうと試みている。芸術には人々を変える力がある、ということを、たとえ繊細でも、強かに信じている。多種多様な地域や民族、社会のなかで醸成された音楽を、いま新しく生きていく意味はそこにあるのだ。
ジャン・チャクムルが第12回浜松国際ピアノコンクールのオープニングを飾るべく、来日したのは2024年11月。高関健指揮富士山静岡交響楽団とサン=サーンスのピアノ協奏曲第5番を演奏した。翌日の午後、神宮前のトルコ大使館で、ゆったりと話を聞いた。
interview・文 青澤隆明
前回の2018年、第10回浜松国際ピアノコンクールの優勝者として、このたび浜松を再訪されましたが、やはり特別な感情を覚えたのでしょう?
「ええ、素晴らしい時間を持てました。高関さんと富士山静岡交響楽団と共演するのは5年ぶりでしたし、コンクールで一緒だった牛田智大さんとも再会し、共演もしました。たまたま隣のホールで演奏していた務川慧悟さんとも再会できた。彼も浜松コンクール以来の友人で、パリで一緒にコンサートをしたこともあるので、うれしかったです」。
浜松国際ピアノコンクールについては、優勝から数年を経た現在のあなたの視点から、どのように評価されていますか?
「正直に言って、浜松コンクールは質だけでなく、世界第一線のコンクールに発展してきたと思います。いまや日本に限らず、国際的にもヴィジョンを拡げていますから。ただ賞を授けて終わりというのではなく、コンサートを主催し、その音楽家がどのように成長していくかを大切に考えてくれていると思います。つまり、単にピアニストということだけでなく、人間的な成長をシリアスに考えて、後々まで支えてくれるのです」。
コンクールに関しては、あなたにとって浜松が最後の挑戦ということになりそうですか?
「ええ。年齢的にはあと3、4年ほどは他にもエントリーは可能だけれど、いまのところ考えてはいません。私にとっては浜松が最後のコンクールでいいと思っています。演奏家はコンクールの受賞歴ではなく、コンサートで評価されるべきだと思うから」。
では、レパートリーのことを伺いますが、あなたのシューベルトの愛着には相当なものがありますね。
昨今の「Schubert+」のレコーディング・シリーズの成果はもちろんですが、たしか浜松コンクールの第3次予選でも変ロ長調ソナタD.960を演奏されていましたし、BISからのデビュー・アルバムでも変ホ長調ソナタD.568を録音しています。
© Martin Teschner
「浜松コンクールのときは、当初提出していたプログラムから曲目を変更して、シューベルトの変ロ長調ソナタを弾きました。アクトシティ浜松が音響の良いホールだということはそれまでにわかっていたので、もっとパーソナルで、親密なものを演奏できたらと思ったのです。シューベルト最後のソナタは、私が15歳のときから演奏してきた愛着の深い作品でしたから。シューベルトのソナタを演奏するにはまず、作品を大いに愛していなくてはなりません。たいていの曲は長いですから、なおさら好きでなければ難しいです」。
では、シューベルト演奏に大切なものは何だと思われますか?
「まずは怖れないことだと思います、シューベルトをヒューマンに演奏することを。博物館的なものとして捉えるのではなく、自分がなにか間違ったことをしているのではないかと怖れることもなく弾くのです。それには精神的な準備が必要で、どこでどのように自分と感情的な接点を持つかを見つけることが重要になります。
愛するからこそ、そこに命を吹き込むのです。それができるようになると、当初思っていたのとは違う音楽的な解決が随所で見出されるようになる。それは長い長いプロセスです。たとえば、ベートーヴェンの最後の5作のピアノ・ソナタでも、リストのソナタにもそれは通じますね。」
愛するからこそ、そこに命を吹き込むのです。それができるようになると、当初思っていたのとは違う音楽的な解決が随所で見出されるようになる。それは長い長いプロセスです。たとえば、ベートーヴェンの最後の5作のピアノ・ソナタでも、リストのソナタにもそれは通じますね。」
あなたのシューベルト探求は、ワーク・イン・プログレスのプロジェクトである「Schubert+」にも鮮やかに結実しています。
シューベルトが没後200年を迎える2028年に向けた壮大なレコーディング・シリーズですが、あなたの知性と感性を証しするように、前後のヨーロッパ音楽の鉱脈と結びつけながら、シューベルトの多面的な魅力を探っていくというところも大きな魅力ですね。
「『Schubert+』は、全12枚のアルバムにわたって、ショーベルトのピアノ独奏曲を核に、さまざまな作曲家の作品を組み合わせていく構想です。6年以内にすべてを録音して、8年のうちに順次リリースしていきます。一方でちょっと遠足して、次の夏にはショーソンのコンセール――これはピアニスト泣かせの難曲です――、そしてフランクの五重奏を、マルメン弦楽四重奏団とレコーディングします。それからシューベルトのシリーズに戻ります。完結した後は、私がずっと惹かれ続けているリストの作品を録音したい」。
「+シェーンベルク」、「+ブラームス」、「+クレネク(クルシェネク)」の4作がリリースされた『Schubert+』の諸作はとても興味深いものですが、『without borders』と題されたアルバムでも、バルトークのソナタ、ミトロプーロスの「パッサカリア、間奏曲とフーガ」、サイグンのソナタ、そしてエネスコの第3ソナタという独自の選曲構成で、現在の視点からのアプローチを試みていましたね。
フーガの形式が全作の共通項ですが、こうした連繋の視点があなたのプログラミングに時空を俯瞰する広い視野と公平性を導いているように思います。
© Ole Bunke
「たとえば最新作の『+クレネク』について言うなら、クレネクは友人を介してシューベルトの音楽を知り、彼の歌曲を研究しました。彼はまたフランスのシャンソンなども自作に採り入れましたから、その意味でもシューベルトが当時の歌を用いるのと近いところがあると私は思いました。2人には多くの共通性があるのです。クレネクは年代によってさまざまなスタイルを取り入れたことで知られていますが、彼が1920年代に作曲したピアノ・ソナタ第2番は、シューベルトを思わせる技巧をもちながら、19世紀のウィーンというよりも20世紀初頭のパリの香りがする音楽になっていて面白いです。
そして、次作はすべて『即興曲』でまとめます。異なるピアノ書法の作曲家たちを採り上げますが、とても面白いことに、これら19世紀に書かれた即興曲を順に聴いて行くと、すべてが3連符でできていることに気づきます。まるでCD全体が3連符でできているみたいに(笑)。アルバムを通じて、シューベルトの痕跡が後々までみてとれるし、シューベルトを先に進めたようなところもある。
そして、音楽は紙の上でみたようなものではなく、音で鳴り響くものです。スムーズな音の絵画はリストと関係づけられることが多いと思いますが、実際にはもっと早く始まっていて、ヴォジーシェクは原初のシューベルトのような音づかいをしています。シューベルトは即興曲を水彩画のように描きました。ショパンの即興曲では、それがもっと多義的になって、溶け出すようになります」。
そして、次作はすべて『即興曲』でまとめます。異なるピアノ書法の作曲家たちを採り上げますが、とても面白いことに、これら19世紀に書かれた即興曲を順に聴いて行くと、すべてが3連符でできていることに気づきます。まるでCD全体が3連符でできているみたいに(笑)。アルバムを通じて、シューベルトの痕跡が後々までみてとれるし、シューベルトを先に進めたようなところもある。
そして、音楽は紙の上でみたようなものではなく、音で鳴り響くものです。スムーズな音の絵画はリストと関係づけられることが多いと思いますが、実際にはもっと早く始まっていて、ヴォジーシェクは原初のシューベルトのような音づかいをしています。シューベルトは即興曲を水彩画のように描きました。ショパンの即興曲では、それがもっと多義的になって、溶け出すようになります」。
各々の作曲家を通じて、形式の拡張という視点がみられるのですね。
「そうです。どの作曲家も『即興曲』ということで、特定のスタイルで書こうと意識している。だから、こういうアルバム・コンセプトにしたのですが、同時に、これらすべてを聴くのは、とても素敵なことです。最初から最後まで、止めることなく聴くことができると思いますよ。実際、少々音楽学的な観点で組み立てたので、聴いて退屈するかな?と思っていたのですが、それがとても良い感じなのです。感情的に制限のあるところからはじまって、完全に感情的に自由な状態へと向かっていく。アルバム全体として、良いアーチを創っていると思います。
最後にはスクリャービンにいたりますが、彼のop.12の第2曲は本当に爆発的です。非常にドラマティックで、ピアノが焔に向かうようなところがある。もっとエネルギーに満ちたものを録ろうと、この曲では何度もテイクを重ねました。しまいにはピアノから起ち上がり、最後の音で空手チョップみたいにして……それでようやく家に帰ることできました(笑)。
さらに、『楽興の時』というコンセプトで、シューベルトとラフマニノフを組み合わせるのもこれと同じ考えです。ただ同作はずっと先のリリースで、第5作はベートーヴェンのハ短調変奏曲WoO.80とシューベルトのハ短調ソナタD.958になります。それら2作とまったく異なるものとして、シューベルトの小さなイ長調ソナタD.664を組み合わせます」。
最後にはスクリャービンにいたりますが、彼のop.12の第2曲は本当に爆発的です。非常にドラマティックで、ピアノが焔に向かうようなところがある。もっとエネルギーに満ちたものを録ろうと、この曲では何度もテイクを重ねました。しまいにはピアノから起ち上がり、最後の音で空手チョップみたいにして……それでようやく家に帰ることできました(笑)。
さらに、『楽興の時』というコンセプトで、シューベルトとラフマニノフを組み合わせるのもこれと同じ考えです。ただ同作はずっと先のリリースで、第5作はベートーヴェンのハ短調変奏曲WoO.80とシューベルトのハ短調ソナタD.958になります。それら2作とまったく異なるものとして、シューベルトの小さなイ長調ソナタD.664を組み合わせます」。
日本での次のリサイタルでも、各地でシューベルトが聴けるのでしょう?
「ええ、まだいろいろと考えているところなのですが、いまはシューベルトのシリーズに焦点を当てていますしね。知られざるシューベルトも、よく知られたシューベルトも入れたいです。 そして、リストも弾けたら、とてもうれしい。リストにはずっと情熱をもってきて、いまはさらに多くの時間を注ぎたいところなんです。それと、ショパンも少々……」。
シューベルトを現代のピアノで表現するのには難しいところもあるでしょう?
© Martin Teschner
「まさしく。あまりフィットしない部分も多いのです。モダン・ピアノでは上声部を引き立てがちですが、シューベルトの音楽は必ずしもそこに主眼を置いていない。ペダリングやヴォイシング、バランスを工夫して、なんとかよい解決策を見出さなくては。反復音を多用しているところも、モダン・ピアノで、指定されたテンポで弾くときには困難です。シューベルトのピアノ音楽のいわゆる演奏上の難点は、当時のピアノでは自ずと解決されることが多い。ですが、モダン・ピアノでは声部の弾き分けが明瞭にできますし、たとえ細部の表現が乏しくなったにしても、音楽の流れがもっと表現できます。モダン・ピアノはよりオーケストラ的ですし、フォルテピアノはもっと特定的な性質をもつ楽器ですから、どちらの楽器がいいというのではなくて、異なっているのです。双方の楽器を学ぶことで、相互にさまざまな解決法が見出されることになります。そのうえで、モダン・ピアノで演奏することで、シューベルトの作品に異なる光を与えることができると私は考えています」。
楽器の話になったところでお聞きしますが、そもそもあなたにとって、ピアノとはどのようなものですか?
「正直に言いますね。ピアノを弾くときには、私の場合、話すときよりもたやすく芸術的になれます。俳優のように効果的に話すことができる、とでも言いますか、顔の表情で語るかわりに――もしそれができれば俳優になれたかもしれないけれど、私にはうまくできないので―――私はピアノを弾きます(笑)。音楽とともに、私はまるで別の誰かになったように感じるのです。
それはとても素敵なことで、違った精神状態になれる。たとえば、バッハの受難曲を聴いているときには、キリストの死を目撃している心境になる。ベートーヴェンの後期ソナタを聴くなら、とても年老いた人が、人生の意味を超えたなにかについて考えているような気持ちになります。シューベルトを聴くときには、希望がなく孤独な感覚をもつ人になって、運命の重さを感じます。シューベルトは外向的なように聞こえて、とてもとても内向的な音楽なのです。ショパンを聴けば、たくさんのことを成し遂げたいのに身体がとても脆弱である人の感情を覚えます。彼らはみな映画の登場人物であるかのように感じます。だから、私は自分のアプローチを演技になぞらえたのだと思います」。
それはとても素敵なことで、違った精神状態になれる。たとえば、バッハの受難曲を聴いているときには、キリストの死を目撃している心境になる。ベートーヴェンの後期ソナタを聴くなら、とても年老いた人が、人生の意味を超えたなにかについて考えているような気持ちになります。シューベルトを聴くときには、希望がなく孤独な感覚をもつ人になって、運命の重さを感じます。シューベルトは外向的なように聞こえて、とてもとても内向的な音楽なのです。ショパンを聴けば、たくさんのことを成し遂げたいのに身体がとても脆弱である人の感情を覚えます。彼らはみな映画の登場人物であるかのように感じます。だから、私は自分のアプローチを演技になぞらえたのだと思います」。
それでは、こうした音楽の旅を続けることで、ジャン・チャクムルという人は、究極的にはなにを成し遂げようとしているのでしょう?
「そのことを聞いてくれて、とてもうれしいです。ある意味で、現代の社会においては、知性的である余地がわずかしかなく、そしてまた複雑な感情のためのスペースも非常に限られています。私たちが置かれているのは、あらゆるものをカテゴライズする世界ですから。だから、そのためのスペース、そのための偶然や機会を、私は創り出したい。哲学、感情、美がいまも問題とされているパラレルな世界を創るようなものです。それこそが私が人生を通じて達成したいことです。人々がある種の目的をもち、よりリアルなものに焦点を当てるようになってほしい。コンサートにきて、しかしピアニストを観にくるのではなく、自分の人生の2時間をよい音楽を聴いて、別の人の人生に入るようになってくれたら素晴らしいと思う。それが私の目標です。もっと大きく言えば、私が音楽するのは社会を変えるため。アドルノが言うように、よく生きられた人生の可能性を示すためなのです」。
アクト・プレミアム・シリーズ2025~世界の名演奏家たち~ Vol.40
ジャン・チャクムル(ピアノ)
2025年9月28日(日)15:00開演
アクトシティ浜松 中ホール
全席指定(税込)
S席:4,000円 A席:3,000円
B席:2,500円 学生B席:1,500円(24歳以下)
公演の詳細は、こちらをご覧ください。
アクトシティ浜松 中ホール
全席指定(税込)
S席:4,000円 A席:3,000円
B席:2,500円 学生B席:1,500円(24歳以下)
公演の詳細は、こちらをご覧ください。